カテゴリ:イタリア修業回顧録( 46 )

 

回顧録 再開



イタリア修行回顧録、再開します003.gif


長くお付き合いいただいております回顧録。
現在、81年秋の2回目の料理修行序盤、ローマで足止めとなっています057.gif

2回目の修行は、前半にイタリア各地の地方料理の研修。
ワイン、パスタ、プロシュットの工場見学の為、ローマ以北を1か月半かけて回ります。

後半は仕事上、いろいろお世話になった友人を日本から招待し、最後の1か月はローマで料理の勉強、
という計画です。

(特にローマでは、国立エナルク料理学校を訪ね、授業の見学の話だけでもお伝え出来たら、、、と思ってます)


今からちょうど31年前の今頃の事。
当時の写真やメモを見て、記憶をよみがえらせていきます。
3か月という長丁場の2回目回顧録。

ミラノ行の鉄道の切符を購入するシーンから、はじめますか063.gif



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by miro_kiyosato1972 | 2012-11-25 11:00 | イタリア修業回顧録 | Comments(0)  

回顧録 Numero 43 ~5年ぶり~

 着きました!!

 5年ぶりのイタリア・ローマです。

 古代の遺跡も、古い街並みも、何も変わっていません。

 変わったのは、そこに暮らす人間。

 それなりに(5年分)、年を重ねました。

 そして、会えなかった人も・・・。

 
 でも、“カリフォルニア”の仲間は皆、5年前のまま。

 “ヨジ!! ウン ポ ヴェッキョ. (洋司!! 少し、老けたね。)”

 “イロコ!! アンコーラ ジョヴァネ. (ひろ子!! まだ若い!!)”

 とは、ウンベルトさん。

 お菓子職人のジュゼッペさん、メガネのディレットーレ、1Fのバールのバリスタ達、

 皆、ニコニコと “ブオン・ジョルノ!!” と出迎えてくれました。

 カリフォルニアのバールで30cc程のエスプレッソを、

 グッと一飲み、「あぁ、帰って来たんだ。」









 宿はラニエーリ。

 フロントのカルロとシルベルトは、私と同じ年。

 二人共、ちょっぴり貫録が出て、いっぱしのホテルマンになっていました。

 ただ残念な事に、テレサさんが居ません。

 そして、更に残念な事に、団体旅行者用の昼食のサーヴィスが無いとの事でした。

 団体から個人旅行へ、旅行の仕方が変わってきたのですね。

 したがって、ラニエーリのキッチンでの勉強は、出来なくなりました・・・。









 そして、ローマでの最初の食事は、ペントラッチャ。

 “ブオン・ジョルノ!!” と迎えてくれたのは以前とは違うパドローネ。

 バート・ランカスターに似た伊達男。

 とその奥様。

 それにカメリエーレは回顧録Numero 14でお話ししたピエトロ君。

 シェフは以前より若い、30代の男性。

 でもやはり、コンロには、コークスが燃えていました。

 







 この古くて、大きなローマという都市の中で皆其々に、居場所を得て、
 
 日々の暮らしを送り、やがてそれが、歴史の中の小さな一コマになっていくのですね。

 私達、ミロ夫婦も、これからの3か月間、

 イタリアの歴史の中にほんの小さな足跡を残せたら・・・と思った第一日目でした。

 まずローマに、一週間。

 朝、カリフォルニアで勉強です。

 そして、鉄道でミラノへ向かいます。

 

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by miro_kiyosato1972 | 2012-05-11 15:53 | イタリア修業回顧録 | Comments(0)  

回顧録 Numero 28 ウンベルトさんの事 part5

 さて、1997年の13年ぶりの再会より3年経った2000年。
 
 再び、息子達を連れてイタリアを訪れました058.gif

 ローマに到着し、早速ウンベルトさんに電話すると、なんとあの古めかしいマンションは
 息子のステファーノに譲り(彼はまだ独身との事でした)、
 今は生まれ故郷の町で暮らしているとの事。

 昼食に招待されテルミニ駅から、ローカル線に乗って約1時間。

 ウンベルトさんに教えられた駅で降りると、懐かしい人懐こい笑顔が出迎えてくれました     003.gif
 彼の運転でクルマに乗ること約15分059.gif

 到着したのは、真新しい3階建てのマンション023.gif

 そのマンションの3階の一角がウンベルトさんの新居だそうで
 案内されたのは広々とした暖炉付きの2LDK!!

 地下にガレージを兼ねた倉庫。

 そこに、ウンベルトさん夫妻とウンベルトさんのお母さんの3人で
 住んでいるとの事でした。

 例によって、一通り家の中を案内してもらった後、昼食まで時間があったので
 ウンベルトさんの生家へ案内してもらいました。

 ウンベルトさんの新しいマンションは、古い石造りの町並みからは外れた所にあり
 一帯はやはり石造りの家から移って来た人達のマンションや
 一戸建ての住宅が建っていて、ちょっとした建築ラッシュの感がありました005.gif

 実は、古くからの住民は石造りの古い建物に愛着があっても
 生活のしにくさから他へ移る人が多く、反対に都会に住む人は
 セカンドハウスとしてそう言った家を買うそうです039.gif

 ウンベルトさんの生家も1年程前、ローマに住む人が買い
 ウンベルトさんは新しいマンションに移った、という訳です。

 「ココが、私の生まれた家だよ!!」と、
 入口に階段の付いた木戸の前で、懐かしそ~うに教えてくれました。

 自分の生家を手放すにあたって、ウンベルトさんなりに悩んだ事だと思います008.gif

 その表情は、ロレダーナの結婚式の朝
 一緒に撮った写真の表情に何となく似ていました.....

 新しい居心地の良いウンベルトさんのマンションで美味しい昼食をご馳走になり
 ローマへ戻りました。

 私達とウンベルトさんとの付き合いは、何年に1回という程度でしたが
 合うとお互いに心を開いて付き合える、いわゆる“波長の合う”関係でした001.gif

 帰りの電車に乗る際、
 “ チャオ !! アリヴェデルチ. ”と、握手をして別れてから既に10年。

 また会いたいですねぇ023.gif

 “ チャオ !! ヨジ !! ”と言う声が、聞こえてくるようです。








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by miro_kiyosato1972 | 2012-05-09 19:59 | イタリア修業回顧録 | Comments(0)  

回顧録Numero.42 出発

 2回目の勉強は、1981年9月中旬~12月中旬までの、約3ヵ月。

 1回目と比べると、約2倍近い期間です。

 せっかく行くのだから・・・・・と、料理の勉強の他に、様々な計画を立てました。

 ・イタリアの主要都市の訪問と、地方料理の研修
 ・ワインや食品工場の見学
 ・イタリア国鉄の食堂車での食事(これが一番の楽しみ!!)
 ・最近知り合った、イタリア在住の知人を訪問
 ・主人大澤の旧知の知人を、イタリアへ招待する
 
 等々大忙し、目一杯の日程となりました。

 そして、出発準備。

 資金は「研修費」ということで、国民金融公庫から借り入れました。

 東京の「イタリア政府観光局」を訪ね、イタリア各地のパンフレットや、

 ホテルリストを入手し、チケットは「1年間オープンの正規チケット」ではなく

 「半年オープンのそこそこ価格のチケット」を買い、1回目の時より、

 格段に成長(?)がみられました。

 ただし、新たに準備した事が2つ。

 1つ目は、飼い犬の一時預かり探し。

 現南アルプス市のペットショップに、一泊2食付¥1000でお願いし、

 不安でただただ吠えまくる愛犬を、やっとの思いで運びました。

 2つ目はダイエット(主に私ですがwww)

 3か月間心置きなくイタリア料理を食べられる様、事前に引算をしました。

 荷造りやら、1回目に知り合った人達への日本のお土産を買うやらで、

 大忙しの3日間を終え甲府駅から電車に乗った時、疲れ果てた私は、

 しっかり風邪をひいてしまいました。

 後に、ローマで落ち合う友人の奥様が差し入れ下さったお弁当を食べるなり、

 そのまま新宿までぐっすり。

 新宿から、箱崎シティエアーターミナル。

 そして、成田の新東京国際空港へ。

 微熱でボーっとしながらも、見えない糸に引かれる様に、

 イタリア・ローマを目指して、

 その日の夕方、ジャンボ機の座席に無事、収まりました。


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by miro_kiyosato1972 | 2012-05-09 18:46 | イタリア修業回顧録 | Comments(0)  

回顧録Numero.41 交代

 シェフの交代に伴い、回顧録の書き手も交代です。

 今回から私、大澤 ひろ子が担当します。

 
 
 

 23歳の誕生日から幾日も経たない1月のある日。

 ミロのシェフのバトンを受け取りました。

 店主である夫のお手伝いのつもりで、一緒に行ったローマでの料理の勉強が、

 その後の人生を大きく変える事になるとは、その時は想像もしませんでした。

 しかし、バトンを渡されたからには一生懸命やろうという生来の性格が幸い(?)、

 災い(?)して、延々今日まで。

 35年が経ちました。(年がばれますネwww)

 2回目の勉強に出かけるまでの4年余り。

 ローマの勉強のノートとローマで買った料理の本、伊和・和伊両辞典、

 時々神父様の助けを受けて、メニュー作りと料理に没頭しました。

 私にとって追い風だったのは、

 イタリアの食材が少しづつではありますが、輸入されるようになった事です。

 中でも、ヴェージン・オリーヴ・オイルとの出会いは、私の料理の味を決定的にしました。

 以来、植物油は、エキストラ・ヴェージン・オリーヴ・オイルのみを使っています。

 更に、世の中の景気が良かった事が、お客様の層を広げる結果となりました。

 シェフになって3年目位から、
 
 中高年で明らかに社会的地位があると見受けられるお客様が、目立つ様になりました。

 そういう方達が来店され、私の料理を召し上がって下さる度、

 中には態々「美味しかったよ」とキッチンの私に声をかけて下さるお客様もおり、

 若輩者の私はその時 “早く50歳位になって、貫禄をつけたい” と思ったものです。

 その様な忙しい日々を重ね、81年9月に、2回目のイタリア修行がやっと実現しました。

 出発前の閉店の時は、2・3日間お餞別代りに来店して下さるお客様で、大忙しでした。

 (ありがたい事です。)

 準備を整え、いざ出発!!

 目指すはローマ。

 レストラン・カリフォルニア、ペンショーネ・ラニエーリ、

 そして、レストラン・ペントラッチャ。

 
 

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by miro_kiyosato1972 | 2012-04-23 23:49 | イタリア修業回顧録 | Comments(0)  

回顧録Numero.40 昔話-再出発

 「ローマのペントラッチャの様な店にする」と決心し、まず化学調味料を捨てた私。

 続いて店内の改装、メニューの変更等々、
 
 イタリアで勉強した事を何とか形にする様、頑張りました。

 そして仕上げは、店内禁煙とシェフの交代です。

 この「店内禁煙」は、非常に苦労の多い、大変な事でした。

 今だから、「禁煙」なんて珍しくありませんが、1977年の事ですよ!!

 病院でだってタバコが吸えたのに、飲食店で禁煙なんてある訳ないでショッ!!

 頭がオカシイんじゃないの!?

 あの変り者が、また変なことを初めて~!!

 という訳で、タバコが吸えなくて、怒って帰る人が続出しました。

 しかし、私の変り者ぶりも、筋金入りです。

 その位の事では、めげません。

 自分が「こうと決めたら、それが正しい」の一念で、

 以来35年、ミロは禁煙です。

 今思い返してみると、禁煙は店の形というより、

 私たち夫婦の健康の為には、大正解でした。

 換気の悪い、20坪程度の地下の店で、あのまま一日中、

 御客様のタバコの副流煙を吸っていたら、どうなっていたかと思うと、ゾッとします。

 シェフの交代―これはすんなり(?)、なんの問題も無く(?)、私から妻へ、バトンタッチです。

 (バトンを渡された妻は、実際大変だったようですが・・・)

 こうして、なんとかペントラッチャの様なレストランを作り上げました。

 私たちの帰国から、3ヶ月遅れてローマのザンピエリーから届いた
 
 真新しいパドローネのジャケットとクオカの白衣に身を包み、

 ミロは“イタリアンレストラン”として、再出発したのです。

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by miro_kiyosato1972 | 2012-04-14 15:41 | イタリア修業回顧録 | Comments(0)  

回顧録Numero39. 昔話

「ペントラッチャの様なレストランにする!!」と、決心した私。

それは、今までの道からほぼ90° 右か左へ舵を切る事になります。

その前に昔話をしますと、こんな具合です。

「1972年の開店当初のミロは、甲府市の中心街のビルの地下にありました。

 20坪程の小さい店です。

 ビルの隣には移転前の山梨県民文化ホールがあり、催物のある日は大変な人出でした。

 通りの向かいには県営駐車場、近くには山梨県庁、市役所、銀行、デパート、

 企業の本・支店、商店街等々があり、要するに非常に立地条件の良い場所にありました。

 今のように、郊外型の大型店が出現する以前の事です。

 平日・休日を問わず、人が甲府に集まって来ました。

 店は若い人を中心に、とても人気がありました。

 メニューはオリジナルのスパゲッティ12種類を中心に、

 コーヒー、ソフトドリンク、パフェ類、カレーやハヤシライス、

 ハンバーグ、グラタン、サンドイッチ、サラダと「軽食」の分野は全てカバーしていました。

 内装は、マジックミラーを使ったエントランス、

 コンクリートに小粒の石を吹き付けた白い壁、床は赤のカーペット。

 ガラスのテーブルとイタリアのアルフレックス社製のソファーが「売り」でした。

 照明はライティングレールを使ったスポットでスタジオ風に仕上げてありました。

 極めつけは、音楽。

 なんとビートルズを、音量「大」で一日中レコードとテープで流していました。

 時々、中高年の方から「音を下げて」と言われましたが「営業なので.....」と、

 お断りしていました。

 あのビートルズの4人の顔半分だけが浮かび上がっている黒いジャケットのLP。

 今でも、このLPをかけると、39年前の地下にタイムスリップします。

 平日の夕方や、休日は店の中にも外にも人があふれ良い意味での街の喧騒さがあり、

 正に「古き良き時代の若者の店」と言った位置付けでした。

 そんな風に忙しく、一見楽しそうにすごしていった中で、

 私の中に次第に物足りなさが生じ、自分を支える何かを求め、

 とうとうイタリアまで、足を運んでしまったのは、この回顧録Numero1&2の通りです。

 私はこの、まあまあ上手く行っていたミロを捨て、

 イタリアのレストランを作る事を決心したのす。

 せっかく、イタリアへ行って勉強して来たのだから、

 何か成果を見せないといけない.....と強く強く思い込んでいたのです。

 レストランのステップとして一番最初に私は、化学調味料を捨てました。」


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by miro_kiyosato1972 | 2011-01-30 01:44 | イタリア修業回顧録 | Comments(0)  

回顧録Numero38. コーヒー豆と決心


さて、今年も回顧録を始めます。
よろしくお付き合いください。


何がなんでもイタリアへ行きさえすれば、イタリア料理がモノに出来ると思い、イタリア・ローマで
勉強をしたミロ夫婦。
2ヵ月ぶりに戻った甲府の店で、さあ仕事、さあ開店。

とは行かなかったのです。。
時差ボケと長旅の疲れで2週間ほどボーっとして過ごしてしまいました。
なんとか開店したものの、メニューの内容え大弱り。

今までのメニューとローマで勉強してきた料理の大きなギャップ。
勉強してきた以上、メニューに取り入れたいと思うのは当然の成り行きです。

しかし35年前の日本には今日のように、イタリアから輸入された食材はほんの僅かしか、
存在しませんでした。
もちろん、プロシュットもパンチェッタも、パルミジャーノもモッツァレッラも、
ワインビネガーもグリッシーニも、ガス入りのミネラルウォーターもありませんでした。

中でも一番困ったのはコーヒーです。

あの毎日飲んでいたエスプレッソが飲めません。
コンロに置いて沸かす「モカ・エスプレッソ」は買ってきたのですが、コーヒー豆がありません。
当時、出回っていたいわゆる「フレンチ・ロースト」で作ってみても全くダメ!!
取引先のコーヒー豆店にお願いして炭になる寸前までローストして貰い、
なんとか「エスプレッソもどき」を作りローマのバールを思い出していました。

元々人生の歩みが超下手な私、大澤。
イタリアでの勉強と、現実は別!!と割りきれないのです。
いったん知ってしまった「禁断の果実」のようなイタリア料理はガンガンと私を誘惑しました。
そして、帰国から半年ほどしたある日、私は重大な決心をしたのです。


「よし、ペントラッチャのようなレストランにするぞ!!」



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by miro_kiyosato1972 | 2011-01-17 22:20 | イタリア修業回顧録 | Comments(2)  

回顧録Numero37. 旅の終わりの出会い

2010年も今日が最後。

回顧録も日本へ帰ります。

さて、ローマでの追加の1週間も終わり、私達の修業の旅も残すところ10日余。

レストラン・カリフォルニアのウンベルトさんは
「ヨジは、1週間したら戻ってくるよ」と冗談を言って、別れの寂しさを紛らしてくれました。

本当に、そう出来たら、どんなに幸福でしょう!!

ローマにずっと居られたら.....

でも、帰らなければなりません。

再び、ローマの地に立つ事を2人で誓い合い
フィウミチーノ空港からミラノ目指して、飛び立ちました。

そして、そのミラノの空港で私達は
修業の旅の終わりに相応しい超不思議な出会いを経験したのです。

ミラノの滞在は2泊3日。

ちょっとした用事の為に立ち寄ったので
何の予備知識も、ホテルの予約も無しに、空港へ降り立ちました。

まずはホテルの確保を、とインフォメーションセンターを目指して到着ロビーで
ウロウロしていると、1人の日本人紳士が声をかけてきました。

「西村ですが、日本からいらっしゃった田中様ですか?」

その声の主を見て、ビックリ!!

㈱文流の社長の西村さんです。

そもそもあの 回顧録 Numero 2. ~道はローマへ~ で書いた
東京での料理講習会を企画したのは、この文流の社長の西村さんなのです。

講習会にもいらっしゃっていたので、私は顔を見知っていたのです。

「いいえ、私は大澤と申します。西村さんは、文流の西村さんですか?」

私は、あまりの奇遇さに本当にビックリしてしまって、西村さんにこう尋ねました。

旅のきっかけを作った人に、旅の終わりに出会ったのですから.....!!

西村さんは、日本からのお客様御夫妻を出迎えにいらっしゃっていて
たまたま目に付いた(笑)日本人夫婦の私達に、声を掛けたとの事。

私達も事情を話し、西村さんにホテルを紹介してもらいました。

どちらかが、ほんの少しタイミングをずらしていたら、この出会いは無かった事でしょう。

西村さんに始まり、西村さんで終わった私達の第1回目の勉強の旅。

この後、スウェーデン人の友人に会う為ストックホルムに1週間滞在し、アンカレッジ経由で
羽田へ戻った時には、懐には帰りの交通費(¥10000~20000)しか残っていませんでした。

羽田空港へ降り立った時、懐かしいはずの日本の風景が、そこにありました。

しかし、何かが違う!!

何かが、物足りない!! と感じた瞬間から、ミロ夫婦の2回目の料理修業の旅が始まったのです。






2010年5月より何とか書き進めてきました、イタリア料理修業回顧録。
お読み頂き、有難うございました040.gif
やっと、1回目の旅が終わりました。
しかし、終わりは始まりです。
甲府へ帰った後の5年間、山あり谷あり絶壁ありの日々を送り
1981年、やっと2回目の勉強の旅にこぎつけました。
2011年1月より、ローマへ出発、いいえ戻ります。


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by miro_kiyosato1972 | 2010-12-31 15:13 | イタリア修業回顧録 | Comments(0)  

回顧録 Numero 36.記念品

1週間で、ローマに戻ったミロ夫婦。

レストランカリフォルニアの仲間達は、驚くやら、あきれるやら.....

でも、ローマへ戻った理由を話すと“ ウン、ウン ”と納得顔(笑)
「ヨジとヒロコは、ローマが大好きだから1週間で戻って来たよ!!」と言う話は、あっという間に広がり嬉しいやら、恥ずかしいやら.....

でも、ボ~ッとしていられません、朝7:00~お昼までほんのわずかな日数でも、カリフォルニアで勉強勉強!!
そして午後は、ローマの街を思い切り歩き、しっかり記憶にとどめてる様見たり、聞いたり、食べたり。次はいつ来られるのか、分かりませんから!!

そんな必死の思い出作りのある日、トレビの泉の近くで見つけた日本文字の「カ メ オ」の看板。

ドアを開け中に入ると、日本人のオーナーと店員さんが出迎えてくれました。
バックやスカーフ等、様々なイタリア製品があり日本人観光客の為のお土産屋さんでした。
何かローマの記念品を、と考えていた私達は、看板にあったカメオを2,3個見せて頂き中で一品を買いました。

他の2品は作者の調刻印がほってありましたが、私達が選んだカメオには何もありません。
店のオーナーいわく、「このカメオの作者は有名なだけど、わざわざサインを彫らなくても作品を見れば自分の作品と解るからサインは要らないと言ってサインを彫らないんですよ。」

その時その作者の名前を聞きましたが忘れてしまいました。
でもカメオはとても素晴らしい出来栄えです。
買う人間がそう思っているのですからこれ程良い事はありません。
値段ももう忘れましたが3品の中で1番高価でした。

以来34年、このカメオは妻の宝物になり、事ある毎に妻の胸元を飾っています。

d0166621_21215510.jpg

人物が二人彫ってあるカメオは、珍しいそうです。


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by miro_kiyosato1972 | 2010-12-19 20:43 | イタリア修業回顧録 | Comments(0)